Story4. 低速道路
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その国の人々は、とにかくよく急いでいた。
朝は急いで起きて、急いで朝食を食べて、急いで車に乗り込んだ。道路はいつも車でいっぱいで、クラクションが鳴り響き、誰もが「早く、早く」と前の車を睨みつけていた。
目的地に着いても、急いで仕事をして、急いで昼食を食べて、急いで家に帰った。
帰ってからも急いでいた。
何をそんなに急いでいるのかと聞かれると、誰も答えられなかった。でも急いでいた。それがこの国の、当たり前だった。
王様は、窓から道路を眺めていた。
城は丘の上にあったので、街全体が見渡せた。
渋滞していた。
いつも渋滞していた。
「あの車たちは、どこへ向かっているのだ」と王様は大臣に聞いた。
「それぞれの目的地へ、でございます」
「では、なぜ動いていないのだ」
「皆が急いでいるからでございます」
王様はしばらく黙っていた。
「……急いでいるのに、動いていない?」
「はい」
「それは」と王様は言った。「急いでいる意味があるのか?」
大臣は答えられなかった。
翌月、王様は新しい道路を作った。
名前は「低速道路」。
高速道路の隣に、ひっそりと並んで作られたその道路には、大きな看板が立っていた。
【低速道路】最高速度:時速20キロ 最低速度:時速10キロ それ以上出してはいけません。それ以下でも走れません。
街の人々はその看板を見て、笑った。
「なんだそれは」
「時速20キロ? 自転車より遅いじゃないか」
「王様はおかしくなったんじゃないか」
誰も使わなかった。
最初の一週間は。
最初に低速道路を使ったのは、パン屋のマルコだった。
理由は単純で、高速道路も一般道も渋滞していて、低速道路だけがガラガラだったからだ。
「遅くてもいい、動いているほうがましだ」
マルコは低速道路に入った。
時速20キロ。
信じられないほどゆっくりだった。
歩いている人に追い越された。
犬の散歩をしているおじいさんに、ぴったり並走された。おじいさんが手を振ってきたので、マルコも手を振り返した。
「どこへ行くんですか」とおじいさんが聞いてきた。
「配達です」とマルコは答えた。
「何を届けるんですか」
「クロワッサンです」
「おいしそうですね」
「よかったら一個どうぞ」
マルコはクロワッサンを一個、窓から手渡した。
おじいさんは嬉しそうにかじった。
マルコは、なんとなく嬉しかった。
目的地に着いたのは、いつもより二十分遅かった。
でも、なぜか悪い気分じゃなかった。
翌週、低速道路を使う人が少し増えた。
理由はそれぞれだった。
高速道路の渋滞に嫌気が差した人。たまたま通りかかった人。マルコがおじいさんにクロワッサンを渡しているのを見ていた人。
時速20キロの車列は、ゆったりと流れた。
不思議なことが起きた。
車の窓が開き始めた。
高速道路では、誰も窓を開けない。スピードが速いし、排気ガスが入ってくるし、そもそも余裕がない。
でも低速道路では、窓を開けても風が心地よかった。
鳥の声が聞こえた。
街路樹の葉っぱが揺れているのが見えた。
「あの建物、こんなところにあったのか」と気づいた人がいた。
「この道、桜並木だったんだ」と気づいた人がいた。
毎日通っていた道なのに、誰も知らなかった。
一ヶ月後、低速道路は行列になった。
低速道路に入るための渋滞が、できた。
皮肉なことに、低速道路待ちの列は、まったく動かなかった。
「早く低速道路に入らせろ!」とクラクションを鳴らしている人がいた。
誰かが指摘した。
「あなた、低速道路に急いで入ろうとしていますよ」
その人はしばらく黙って、それから笑った。
笑いが列の前後に広がった。
なんとなく、クラクションが減った。
王様は再び窓から道路を眺めた。
低速道路は、のろのろと流れていた。
車の窓から腕が出ていた。隣の車と話している人がいた。歩道の人に手を振っている人がいた。途中で止まって、屋台でコーヒーを買っている人がいた。
「止まってはいけないのではないか」と大臣が言った。
「低速道路の規則は、時速10キロ以上20キロ以下だ」
「しかし止まっています」
「コーヒーを買っているだけだ」と王様は言った。「すぐ動く」
大臣はそれ以上何も言わなかった。
王様は少し笑った。
「みんな、急ぐのをやめたわけじゃないんだろうな」
「はい?」
「目的地には行く。でも、途中を走ることを思い出したんだろう」
大臣はよく意味がわからなかったが、とりあえず「さようでございます」と言った。
低速道路には、やがていろんなものが生まれた。
沿道に花屋が出た。低速で走る車に向けて花を売るためだ。時速20キロなら、窓から手渡せる。
移動式の本屋も現れた。自分も低速道路をゆっくり走りながら、並走する車に本を売った。
「3ページ読んでみてください」と本屋の運転手は言った。「気に入ったら買ってください。気に入らなかったら次の交差点で返してください」
誰かが低速道路の途中に、小さなベンチを置いた。
「道路にベンチを置いていいのか」と誰かが聞いた。
「低速道路の規則には書いていない」と誰かが答えた。
ベンチはそのままになった。
高速道路は今日も混んでいる。
でも以前より、クラクションの音が減った気がする、と古い住人たちは言う。
低速道路を一度でも走った人は、高速道路に戻っても、少しだけ急ぐのが和らぐらしかった。
理由を聞くと、みんな同じようなことを言った。
「なんか、急がなくてもよかったな、と思って」
「目的地に着いたとき、途中のことを覚えていた」
「それが、なんかよかった」
なんかよかった。
うまく言葉にはならないけれど、その「なんか」が、大事なものだったらしい。
王様はその話を聞いて、満足した。
そして翌日、また窓から道路を眺めた。
低速道路は今日も、ゆっくりと流れていた。
車の中で本を読んでいる人がいた。
助手席で眠っている人がいた。
後部座席で子どもが窓の外を指さして、何かを叫んでいた。
おそらく「あれなに!」とか言っているのだろう、と王様は思った。
そういえば、自分も子どものころ、車の窓から外を指さしていた。
何を見ていたのか、もう覚えていない。
でも、楽しかったことは、覚えていた。
了
作者メモ 高速道路は「早く着くための道」だが、低速道路は「走ることそのものの道」かもしれない。目的地に急ぐあまり、私たちはいつしか「移動」を「時間の無駄」だと思うようになった。でも本当にそうだろうか——窓の外を「あれなに!」と叫んでいたあのころの自分に、一度聞いてみてもいい気がする。