Story4. 低速道路

読了目安:5〜7分


その国の人々は、とにかくよく急いでいた。

朝は急いで起きて、急いで朝食を食べて、急いで車に乗り込んだ。道路はいつも車でいっぱいで、クラクションが鳴り響き、誰もが「早く、早く」と前の車を睨みつけていた。

目的地に着いても、急いで仕事をして、急いで昼食を食べて、急いで家に帰った。

帰ってからも急いでいた。

何をそんなに急いでいるのかと聞かれると、誰も答えられなかった。でも急いでいた。それがこの国の、当たり前だった。


王様は、窓から道路を眺めていた。

城は丘の上にあったので、街全体が見渡せた。

渋滞していた。

いつも渋滞していた。

「あの車たちは、どこへ向かっているのだ」と王様は大臣に聞いた。

「それぞれの目的地へ、でございます」

「では、なぜ動いていないのだ」

「皆が急いでいるからでございます」

王様はしばらく黙っていた。

「……急いでいるのに、動いていない?」

「はい」

「それは」と王様は言った。「急いでいる意味があるのか?」

大臣は答えられなかった。


翌月、王様は新しい道路を作った。

名前は「低速道路」。

高速道路の隣に、ひっそりと並んで作られたその道路には、大きな看板が立っていた。

【低速道路】最高速度:時速20キロ 最低速度:時速10キロ それ以上出してはいけません。それ以下でも走れません。

街の人々はその看板を見て、笑った。

「なんだそれは」

「時速20キロ? 自転車より遅いじゃないか」

「王様はおかしくなったんじゃないか」

誰も使わなかった。

最初の一週間は。


最初に低速道路を使ったのは、パン屋のマルコだった。

理由は単純で、高速道路も一般道も渋滞していて、低速道路だけがガラガラだったからだ。

「遅くてもいい、動いているほうがましだ」

マルコは低速道路に入った。

時速20キロ。

信じられないほどゆっくりだった。

歩いている人に追い越された。

犬の散歩をしているおじいさんに、ぴったり並走された。おじいさんが手を振ってきたので、マルコも手を振り返した。

「どこへ行くんですか」とおじいさんが聞いてきた。

「配達です」とマルコは答えた。

「何を届けるんですか」

「クロワッサンです」

「おいしそうですね」

「よかったら一個どうぞ」

マルコはクロワッサンを一個、窓から手渡した。

おじいさんは嬉しそうにかじった。

マルコは、なんとなく嬉しかった。

目的地に着いたのは、いつもより二十分遅かった。

でも、なぜか悪い気分じゃなかった。


翌週、低速道路を使う人が少し増えた。

理由はそれぞれだった。

高速道路の渋滞に嫌気が差した人。たまたま通りかかった人。マルコがおじいさんにクロワッサンを渡しているのを見ていた人。

時速20キロの車列は、ゆったりと流れた。

不思議なことが起きた。

車の窓が開き始めた。

高速道路では、誰も窓を開けない。スピードが速いし、排気ガスが入ってくるし、そもそも余裕がない。

でも低速道路では、窓を開けても風が心地よかった。

鳥の声が聞こえた。

街路樹の葉っぱが揺れているのが見えた。

「あの建物、こんなところにあったのか」と気づいた人がいた。

「この道、桜並木だったんだ」と気づいた人がいた。

毎日通っていた道なのに、誰も知らなかった。


一ヶ月後、低速道路は行列になった。

低速道路に入るための渋滞が、できた。

皮肉なことに、低速道路待ちの列は、まったく動かなかった。

「早く低速道路に入らせろ!」とクラクションを鳴らしている人がいた。

誰かが指摘した。

「あなた、低速道路に急いで入ろうとしていますよ」

その人はしばらく黙って、それから笑った。

笑いが列の前後に広がった。

なんとなく、クラクションが減った。


王様は再び窓から道路を眺めた。

低速道路は、のろのろと流れていた。

車の窓から腕が出ていた。隣の車と話している人がいた。歩道の人に手を振っている人がいた。途中で止まって、屋台でコーヒーを買っている人がいた。

「止まってはいけないのではないか」と大臣が言った。

「低速道路の規則は、時速10キロ以上20キロ以下だ」

「しかし止まっています」

「コーヒーを買っているだけだ」と王様は言った。「すぐ動く」

大臣はそれ以上何も言わなかった。

王様は少し笑った。

「みんな、急ぐのをやめたわけじゃないんだろうな」

「はい?」

「目的地には行く。でも、途中を走ることを思い出したんだろう」

大臣はよく意味がわからなかったが、とりあえず「さようでございます」と言った。


低速道路には、やがていろんなものが生まれた。

沿道に花屋が出た。低速で走る車に向けて花を売るためだ。時速20キロなら、窓から手渡せる。

移動式の本屋も現れた。自分も低速道路をゆっくり走りながら、並走する車に本を売った。

「3ページ読んでみてください」と本屋の運転手は言った。「気に入ったら買ってください。気に入らなかったら次の交差点で返してください」

誰かが低速道路の途中に、小さなベンチを置いた。

「道路にベンチを置いていいのか」と誰かが聞いた。

「低速道路の規則には書いていない」と誰かが答えた。

ベンチはそのままになった。


高速道路は今日も混んでいる。

でも以前より、クラクションの音が減った気がする、と古い住人たちは言う。

低速道路を一度でも走った人は、高速道路に戻っても、少しだけ急ぐのが和らぐらしかった。

理由を聞くと、みんな同じようなことを言った。

「なんか、急がなくてもよかったな、と思って」

「目的地に着いたとき、途中のことを覚えていた」

「それが、なんかよかった」

なんかよかった。

うまく言葉にはならないけれど、その「なんか」が、大事なものだったらしい。


王様はその話を聞いて、満足した。

そして翌日、また窓から道路を眺めた。

低速道路は今日も、ゆっくりと流れていた。

車の中で本を読んでいる人がいた。

助手席で眠っている人がいた。

後部座席で子どもが窓の外を指さして、何かを叫んでいた。

おそらく「あれなに!」とか言っているのだろう、と王様は思った。

そういえば、自分も子どものころ、車の窓から外を指さしていた。

何を見ていたのか、もう覚えていない。

でも、楽しかったことは、覚えていた。



作者メモ 高速道路は「早く着くための道」だが、低速道路は「走ることそのものの道」かもしれない。目的地に急ぐあまり、私たちはいつしか「移動」を「時間の無駄」だと思うようになった。でも本当にそうだろうか——窓の外を「あれなに!」と叫んでいたあのころの自分に、一度聞いてみてもいい気がする。

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