Story10. 言葉サーフィン

読了目安:5〜7分


ケイイチは喋る男だった。

朝起きてから夜寝るまで、喋り続けた。

電車の中でも、コンビニでも、散歩中でも。話す相手がいなければ独り言を言った。独り言でも話の波に乗れれば、ケイイチは満足だった。

「言葉ってさ、波みたいなもんじゃないですか」とケイイチはよく言った。「乗り遅れたら終わりだし、乗り方ひとつで全然違う景色が見える。だからオレは言葉の波に乗り続けてるわけですよ、ええ」

誰も聞いていなくても、言った。

湘南のサーファーが波を愛するように、ケイイチは言葉を愛していた。


そのケイイチが、言葉狩りに遭ったのは、ある晴れた水曜日のことだった。

職場の後輩、トモアキが恐る恐る言ってきた。

「ケイイチさん、あの……さっき会議で言ってた『そんなの盲点だったわ』って表現、最近NGって言われてるらしくて」

「え、盲点が?」

「目の見えない方への配慮で、視覚に関する比喩的表現が問題になってきてるみたいで」

「……そうか」

ケイイチは少し考えた。三秒だった。

「じゃあ『耳寄りな話』も?」

「……たぶん」

「『腑に落ちない』は?」

「腑って内臓だから……」

「『骨が折れる』は?」

「骨折を経験した方が」

「『息が合う』は?」

「呼吸器に障害を」

「『手を焼く』は?」

「火傷の経験が」

ケイイチはしばらく黙った。

五秒間黙った。これはケイイチにとって、かなりの沈黙だった。

「……トモアキくん、日本語、使えるか?」


それからケイイチは調べ始めた。

「NG言葉リスト」でネット検索すると、おびただしい数の記事が出てきた。

読んだ。

読み進めるほどに、ケイイチの顔が青くなっていった。

「頭が痛い」も、「足を引っ張る」も、「老婆心ながら」も、「片手間に」も、「片目をつぶる」も——すべて「配慮が必要な表現」として挙げられていた。

「耳を疑う」「目を細める」「口を酸っぱくして」「鼻が高い」「手も足も出ない」。

体の部位が入った慣用句が、軒並み問題視されていた。

「肝が冷えた」

「心臓に悪い」

「血も涙もない」

「骨の髄まで」

「腹が立つ」

「腹を割って話す」

「腹八分目」

「腹が……腹が全部ダメじゃないか」とケイイチは言った。

誰も聞いていなかった。


ケイイチは翌日から、NGワードを使わずに喋る練習を始めた。

試みた結果、三分で限界が来た。

「いやそれがね、もう本当に——なんていうか、頭が——いや頭はダメか——脳みそが——脳みそは大丈夫か? 脳みそが痛い? いや痛いはいいのか、脳みそが混乱している状態で——いや混乱って誰かを乱すって意味があるから——いやそれは違うか——えーと、えーと——」

トモアキが心配そうに見ていた。

「ケイイチさん、大丈夫ですか」

「大丈夫じゃない」とケイイチは言った。「『骨が折れる』を使えないから、大変だということを伝えられない。『頭が痛い』を使えないから、困っていることを表現できない。オレは今、波を失ったサーファーだ」

「……それは比喩ですよね」

「比喩だ。比喩すら使えなくなったら、人間は何で話す?」

トモアキは答えられなかった。


ケイイチが本格的に動き出したのは、その週末だった。

「言葉を守る会」という団体を、一人で立ち上げた。

会員数:一名(ケイイチ本人)。

活動内容:使われなくなりつつある言葉を記録し、後世に伝える。

最初の活動として、ケイイチは街頭に立った。

手書きのボードを持って。

「今日の一言:腑に落ちない」 「意味:納得できない、という気持ちを内臓の感覚で表現した江戸時代からの言葉です」

通行人が何人かボードを見た。

「腑に落ちないって、久しぶりに見たな」と言ったおじさんがいた。

「最近使わなくなりましたよね」とケイイチは言った。「でもいい言葉だと思うんですよ。納得できないとき、頭じゃなくて腹のあたりがもやっとする感じ、ありませんか? あの感覚をピンポイントで表現してるのが『腑に落ちない』で、これを失ったら、あのもやっとした感じを伝えられなくなる。そうなったら困りませんか? 困りますよね? オレは困ります」

おじさんは「そうだな」と言って去った。

ケイイチは次のボードに書いた。

「今日の一言:老婆心ながら」


一ヶ月後、「言葉を守る会」の会員は十四名になっていた。

三ヶ月後には百名を超えた。

活動は街頭から、小学校の授業参観、図書館の講演会、地域の文化祭へと広がっていった。

ケイイチは話し続けた。

「慣用句ってのはですね、昔の人が感情を言葉にしようとして、試行錯誤して、磨いてきたものなんですよ。たとえば『腹を割って話す』って、お腹を実際に切るわけじゃないですけど、本音を見せるっていう感覚を、体を使って表現してる。これが一言で言えるのは、何百年も使われてきた言葉の力があるからで、それを失ったら、本音を話すことを表す言葉を、また一から作らないといけない。できますか? できないですよね? だからこそ言葉は大事で——」

聴衆のほとんどが、うんうんとうなずいていた。

一人だけ眠っていた。

ケイイチは気にしなかった。


ある日、テレビ局から取材が来た。

「言葉を守る活動をされているそうですが、言葉狩りを否定しているんですか?」

ケイイチは首を横に振った。

「否定はしてないです。傷つく言葉は使わないほうがいい。それは当然で。でも、慎重にやらないといけないとも思ってて」

「どういうことですか」

「たとえば『盲点』って言葉。これは目の解剖学的な構造から来た言葉で、視野に映らない部分があることから『気づかなかった点』を表すようになった。この言葉を失ったら、『気づかなかった』だけじゃ表現しきれない、『構造上どうしても見えない部分があった』というニュアンスが消える。言葉を消すときは、一緒に何が消えるかも考えないといけない」

「つまり?」

「言葉を守ることと、傷つく表現に気をつけることは、両立できると思うんですよ。でも今は、とにかく禁止、の方向に走りすぎてる気がして。波を消したら、サーファーは乗れない。言葉を消したら、人間は乗れなくなる」

カメラマンが少し笑った。

レポーターが「波乗りの比喩が出ましたね」と言った。

「体が染み付いてるんで」とケイイチは言った。「あ、体が染み付くって言葉、これも大丈夫ですかね、最近」

レポーターが固まった。


放送の翌週、ケイイチのもとに一通のメールが届いた。

差出人は、八十二歳の元国語教師だった。

「テレビを見ました。私が五十年教えてきた言葉たちが、守られようとしているのを聞いて、嬉しくて泣きました。あなたのような人がいてくれて、よかった。」

ケイイチはしばらくメールを見ていた。

それから、返信を書いた。

長い返信だった。

三千字あった。

当然だった。

ケイイチは言葉のサーファーだから。



作者メモ 「腑に落ちない」は江戸時代から使われてきた言葉だ。「腹を割って話す」も、「骨が折れる」も、「目を細める」も——どれも、昔の人が感情を体の感覚で表現しようとした痕跡だ。言葉を丁寧に扱うことと、言葉の文化を守ることは、矛盾しない。でも、そのバランスを保つのは、思ったより難しい。

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