Story11. ゴールドモンスター
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ケイイチはゴールドが好きだった。
どのくらい好きかというと、朝起きたらまず金相場を確認し、朝食を食べながら先物取引のチャートを眺め、会社に行く電車の中で金ETFのニュースを読み、昼休みに同僚に「ねえ今の金価格知ってる?」と話しかけ、夕方に「やっぱり有事の金だよねえ」と独り言を言い、帰り道に金色の夕焼けを見て「美しい……金だ」とつぶやくくらい好きだった。
しゃべる話題の三割はゴールドの先物取引の話だった。残りの七割は、それ以外のなんでもかんでもだった。
そういう男だった。
金田ゴルドウが現れたのは、ケイイチが一人でゴールドの話をしていたある午後のことだった。
部屋の中に、突然いた。
背が高く、全身が金色だった。服も肌も髪も、すべてが金色に輝いていた。名刺を差し出してきた。
金田ゴルドウ 黄金界特命全権大使
「突然失礼する」とゴルドウさんは言った。声も金属的だった。「あなたのゴールドへの愛が、黄金界に届いた」
「黄金界」とケイイチは繰り返した。
「われわれの世界だ。すべてが金でできている。空気も、水も、土も、言葉も。あなたにぜひ来ていただきたい」
ケイイチは名刺をしげしげと眺めた。
「黄金界って、外国ですか」
「外国というか、異世界だ」
「異世界ということは、日本語は通じますか」
「われわれは黄金語を話す」
ケイイチの目が細くなった。
「黄金語」とケイイチはゆっくり言った。「それは日本語ですか」
「違う。黄金界固有の言語だ。音の一つ一つが純金の振動でできている」
「つまり外国語ですね」
「まあ、そう言えなくもない」
ケイイチは腕を組んだ。
「オレはですね、日本語以外を敵国語と考えているんですよ」
ゴルドウさんが少し硬直した。
「……敵国語」
「ええ。外国語は全部、一応敵国語として処理しています。英語も、中国語も、フランス語も、スペイン語も、全部敵国語です」
「それは……なかなかに癖の強い思想だが」
「癖は強いと思います」とケイイチはあっさり認めた。「でも信念なんで。だから黄金語を話す黄金界には行けないですね、残念ながら」
「黄金があるんだぞ」
「それはわかります。行きたい気持ちはすごくあります。でも敵国語の国には行けないので」
「ゴールドだぞ」
「ゴールドですね」
「本物のゴールドだぞ」
「本物のゴールドですね」
「空気がゴールドだぞ」
「空気がゴールド……」ケイイチは少し揺らいだ。「それは……先物取引できますか」
「できる」
「現物も持てますか」
「持てる」
「金庫に入れられますか」
「入れられる」
ケイイチはしばらく沈黙した。三十秒ほど沈黙した。これはケイイチにとって、相当な長さの沈黙だった。
「でも敵国語なんで」
「……なぜそこで戻ってくる」
ゴルドウさんは作戦を変えることにした。
「では、黄金界に日本語部門を作ろう。あなたのために、日本語で話せる区画を設ける」
「それは嬉しいですね」とケイイチは言った。「でも、その区画の外は黄金語ですよね」
「そうだが」
「区画の外に出たとき、敵国語が聞こえてくるのは困りますね」
「出なければいい」
「でも金の話を聞きたくなったら外に出なきゃいけないじゃないですか」
「日本語部門でも金の話はできる」
「でも黄金界全体の相場を把握するには、現地の情報が必要で、それは黄金語で書かれてるわけですよね」
「翻訳者をつける」
「翻訳者が敵国語を話すのを聞くのも、オレ的にはちょっと」
ゴルドウさんの金色の眉間に、皺が寄った。
「……あなた、本当にゴールドが好きなのか」
「大好きです」
「なのになぜ」
「敵国語は嫌いなので」
「両立しないだろう、その好みは」
「しないんですよね」とケイイチは言った。「そこが悩みどころで。だからオレ、ずっと日本円建ての金ETFを買い続けてるんですよ。円建てなら日本語で全部処理できるじゃないですか。英語の資料が来ても読まずに捨てます」
「捨てるのか」
「敵国語なので」
ゴルドウさんはしばらく黙った。
黄金界の特命全権大使として、三百年生きてきた。さまざまな人間を黄金界に誘ってきた。しかしこれほど話がかみ合わない人間は、初めてだった。
「最後に一つだけ聞かせてくれ」とゴルドウさんは言った。
「どうぞ」
「なぜ日本語以外が敵国語なんだ」
ケイイチは少し考えた。
「なんか昔、英語の教科書を持ったまま転んで、膝を擦りむいたんですよ」
「……それだけか」
「それだけです」
「その恨みを、全言語に」
「全言語に」
ゴルドウさんは長い息をついた。
金属的な息だった。
「わかった。今日は帰る」
「お疲れ様でした」とケイイチは言った。「でも黄金界のこと、話してくれてよかったです。あそこ、東証に上場してないですかね。金ETFとして買えたら最高なんですが」
「……検討しておく」
ゴルドウさんは来たときと同じように、突然いなくなった。
部屋には名刺だけが残った。
金田ゴルドウ 黄金界特命全権大使
ケイイチは名刺を金色の名刺入れにしまった。
それから、いつものようにゴールドの先物チャートを開いた。
相場は上がっていた。
「やっぱり金だ」とケイイチは言った。
誰も聞いていなかった。
了
作者メモ 英語の教科書を持ったまま転んだ恨みを、全言語に向けるのは論理的ではない。しかしケイイチにとっては、十分な理由だった。人間の信念というのは、たいていそういうものかもしれない。